わたしの現実
わたしは今、人生で初めて自分の離人症と向き合えてる気がします。
つらくて、胃がぎゅうってなって、ため息でるようなこともたくさんある。
でも意外と、こうしてブログを書きながら自分を見つめることは、わくわくするような時間だったりもします。
私はずっと、離人のことを考えたかったのかもしれない。今、そのタイミングが来たのかもしれません。
今まで、中学、バレエ、友達、塾、高校、勉強、部活、大学、サークル、バイトなど、息切れしそうになりながらも現実生活をやっていく中で、離人について心の中でひとり「はぁ。」とつぶやいていました。押し込めるって疲れます。
私が離人について向き合ってこなかったのは前に書いたように、唯一相談できる人だった母の「気にするな」というスタンスと、自分ひとりで原因を調べたり、病院に行ったりすることはできない私だったから。
母のいうように、当時の私が「精神科に行く自分」をすんなり受け入れられたかどうかはわかりません。自分が心に傷をおっているということ自体まったく気づいていませんでした。
でも今思うと、早いうちに行っておいたほうがよかっただろうな、とは思います。
心の傷は時間が癒してくれる部分もあります。だけれども、ストレスを放置してもいいことないんじゃないかなというほうが大きいです。
わたしは、こわいから「考えないようにしよう、考えないようにしよう」とすることって、逆に不自然なんじゃないかと思うのです。疲れます。
自分で向き合ってみたほうが、よっぽどすっきりする。
「考えないようにしよう」としていた頃は、無意識のうちに悩みが堂々巡りしてました。無意識なので、悩みのエネルギーが堂々巡りしていることに、ハッキリとは気づけません。なんとなくつらい、なんとなく重い、ほんとはだれかと話したい、こわい、不安だ。そんな気持ちです。
わたしは、そんな自分の経験から、離人の方に「気にするな」、「なるべく考えないほうがいいよ」、「忘れて現実を生きてみたほうがいいよ」と言う気にはなれません。
離人のストレスって、「わかってもらえないこと」が大きいです。
ほんとうはもっとわかってもらいたい。
ほんとうは自分をもっとわかってあげたい。
どうしたらいいかわかりません。
でも、
気になるなら、見つめてみたらいいと思う。
とことん見つめてみてください。
大丈夫。
しつこいくらいに考えたら人って飽きるから。
自然となにか行動したくなってくる。
ぜったい次に進める。
わたしにとって、「離人症である自分」こそが、
まぎれもなくわたしの現実です。
この現実を生きていく。
これが今のわたしの生きる道。
じっと見つめて、いつか治る日を願い、歩いていこう。
今ここでしか見えない景色もきっとあるはずだから。
そんな自分を見つめないなんてもったいないって思うんです。
離人について好きなだけ考えて、好きなだけ表現して、好きなだけ聞いてもらいたい。
そして少しずつ、バラバラだった私と離人が、融合して、もう少し付き合いやすい関係になりますように。