現実を生きろ!って、どうなの。
現在の先生のところで先週、三回目のカウンセリングをしたところなんですが、実はちょっと言われて違和感だったことがあったんです。まず先生、離人のことよく知らないんですよ。それでちょっと心ないこと言われたり、そしてこう言われた。
「わたしからあなたへのアドバイスとしてはね、とにかく現実を生きること!
離人のことは極力考えないように、生活に集中してください。
そのことについては、カウンセリングでのみ考えればいい。」
ガーン
てか、あたし普通に生活こなしてるし。
たしかに最近は離人について向き合いはじめたところだからよく考えてるけど(ブログかいてるし)、べつに生活がおろそかになってるわけでもなく。
現実感がないっていう離人特有の違和感によるストレスで相談に来てる人に対して、「現実を生きること!」ってどうなの?
実はこの先生の言葉デジャヴで、
ずっと前に母に言われたことと少し似てます。
わたしが離人ゆえ、精神的にも身体的にも、悩んでたり疲れやすかったり、学校から帰ってきたら疲れてだらだらしてたり、欝々としていたんだと思います。そんな私をみて母にキレられたんです。
「もっと家事を手伝いなさい!そういう生活に関することをやっていけば、生きてる実感わくのよ!」
優しく親身に言ってくれたんじゃなくて、嫌気がさしたのかキレ気味でいわれたんですよ。
ガーン
これってもはや離人あるある差別なんじゃないかと思うんですが。
わたしは現実逃避したいがゆえに、夢見心地の脳内で、甘えたいから「生きてる実感がない」ってたわごとを言ってるんじゃないんですよ。
生きてる実感ないって、生活になまけてるからじゃなくて。
なにもしてないから生きてる実感がしないっていうロジック押し付けてくるのまじ失礼ですよ。
精神科のアドバイスとして、「生活に集中する」っていうのはいいと思うんです。
違和感の反面、「そんなに離人のことを心配しなくていいよ。」っていう意味ではいいメッセージである。というのも、先生のことを信頼していたら、これって安心する言葉になるんだと思う。でも離人をあまり理解してくれない先生だから、違和感を感じてしまったんだと思う。
そこで、離人のわたしから一言。
あたし、もうすでに14年間 離人のこと考えずに、気にしないように現実生活をしてきて、治ってないんですよ。
違和感へのストレスも消えません。
そんなわたしが思う 気にしない ってどういうことかっていうことについてつづきを書きたいと思います。