離人という言葉を知った日のコト、それから
私は中一で離人がはじまってから、ずっと「離人」という言葉を知りませんでした。
自分の感覚がおかしいのはわかっていたけれど、病気なのか、これがなんなのか?まったく見当がついてませんでした。「神様、え、あの、これなんですか?」って空に問いかけていた感じです。
こんなにもふしぎな感覚の人が私の他にもいる、ということを知ったのは、それから4年後くらいだったと思います。高校二年くらいだったとき、ネットで「生きてる実感がない」と検索したら、はじめて「離人」っていう言葉がでてきました。mixiだったかな?たしか離人のコミュニティがあったんですよ。
そのときわたしは家のリビングにいて、母が隣にいたので、「生きている実感がないって検索したら離人ってでてきたんだけど」と話しかけたのですが、まったく話しを聞いてくれませんでした。
いきなり誰かに電話をかけはじめたり、完全にはぐらかされ、母のその態度にも泣きそうになりました。わたしは不安で軽くパニックになって、「不安だから、話しを聞いてよ!」と言ったのですが、そこでなんと母に
「こわいならそんなもん見なきゃいいでしょ!」とキレられました。
たぶんわたし一瞬固まってたと思います。ショックでした。
気持ちのやり場がなくて、悲しくて、やるせなかったです。
わたしお母さんに相談しちゃいけないんだ...
私は、ほんとうにそこから離人について調べなくなり、
自分が「離人である」ということも特別考えないようになりました。
10年前の当時は、今よりもずっと離人に対する情報が少なかったです。
主に、原因不明というスタンスであり、「原因は精神だからカウンセリングが有効」などということもあまり書かれてなかったです。
私が離人による違和感のみに悩んでいて、ほかの問題(鬱や引きこもりなど)がなかったため、精神科に行こうという発想にならなかったのだと思います。
わたしが我慢できてしまう分には、そこに問題はみえないからです。
母は私の離人にも理解してくれていたのですが、この日のことは謎でしたし、ショックでした。
実は最近になって、私は母にこんなメールを送ってたんです。
わたしは高校生のときに、自分でインターネットで「生きてる実感がない」と検索したら、離人という言葉が出てきて、このとても不思議な感覚が、他にもいるんだということにびっくりした。でも、わたしは離人にどうやって向き合ったらいいかわからないまま、離人という言葉が出てきて、こわくなってお母さんに話しかけた。
お母さんに、「そんなもの見なきゃいいでしょ!」と怒られて突き放された。
とてもびっくりして悲しくなった。
お母さんには言えないんだ、と思ったので、言われたとおり自分でも調べるのをやめた。
それから、悩みつつも、調べたり、治療しようと思うことはなかった。
わたしは、離人のことをだれにもわかってもらえないのがずっとつらかった。
そしたら返事がきました。
「花が子供のときから苦しんでいたのに、力になって上げられずにゴメンなさい。
実はお母さんは花が、雲や空を眺めたり、浮いているような気がすると友達と話している時から、ネットで調べて、花が離人症だと分かっていました。
でもその時は治療法がないという情報で、離人症という病名を付けて花に知らせる事が良い事だとは思っておらず、お母さんもすごく苦しくて、勿論お父さんにも伝えました。
でもその内に自然に治るかもしれないとも思って、花の質問には答えないでいました。
その間花がすごく苦しんでいた事、後になって知りました。
きっとその時のお母さんの判断が間違っていたのですね、
その時期はSNSもないし、情報も今より少なくて、精神科に花が行くのは嫌がるだろうと思い、カウンセリングが良いとはその時は分からず、悲観的な情報だけでした。
ヒーラーの処には高校生の時に行ったよね。余り役には立たなかった様だけど。
今は花が大人になって、自分で自分をしっかりみつめることが出来るようになって、本当に良かったと思っています。
力になれずに苦しめてごめんなさいね。でもこれからは力になれるように努力するからね、
母」
忙しいから私に関心ないのかと思っていたのですが、なんか食い違ってたみたいですね。母は離人のことを私よりも前に知っていた。しかしこのあと私は離人に対して相談することもなければ、母から聞かれることもなかったので、話し合いなどできませんでした。
カウンセラーにこのことを話したときは、「お母さんもこわかったのかもしれないね」と言われました。
離人のお子さんをもつご家族の方など、どんな想いを抱えて、関係を築いていらっしゃるんでしょうか。
(もしよかったらメールください)
今日は、私が自分で離人という言葉を見つけた日のはなしをしてみました。